気まぐれ日記 2019年7月
2019年6月はここ
7月1日(月)「今日も必死・・・の風さん」
追い詰められているので、ただひたすら仕事をするしかない。その精神的な焦りのせいだろう。いつもより1時間早く目が覚め、そのまま起きることにした。
粛々とルーチンをこなし、ついでに午前のコーヒータイムも前倒しした。
書斎に入り、こちらもルーチンをさっさとこなし、作家業に入った。
焦っている理由はいくつかあるが、週末にワイフと出かける予定がある。次女が新居に引っ越したので、お祝いの気持ちを抱いた現地訪問である。ついでに次女の荷物を持って行くが、これはおまけみたいなものだ。楽しい旅行になるようにしたいが、自分の仕事のひと区切りができていなければ、楽しめるはずがない。GWの最初に四国へ渡ったときと同じだ。あの時も必死だった。メインはワイフの企画で、私の予定はおまけなので、意義ある旅行にできるかどうかは、私の前準備にかかっている。
昼食には、昨夜のお稲荷さんの残りをいただき、エネルギー補給十分となったが、そこで早起きのダメージが出て来た(笑)。
1時間半ほど横になった。筋トレができる状態になって、体力が戻れば、さらに仕事ができると思うが、今は、筋トレに行く精神的余裕もない。
休養していくらか元気になったので、また作家業に。
幸い、夕方までに、だいたい思ったところまで到達できた。
ホットタイム後、晩ご飯までに区切りをつけようと頑張ったが、あと一歩及ばなかった。
このあと一歩は、晩ご飯後になり、ラストスパートはできず、やっとのことで、ひと区切りに到達した。本当は、夕方までに到達したかったゴールだった。
明日も早起きが必要なので、さっさと寝ることに……。
7月2日(火)「なぜ不調?・・・の風さん」
今日は計画的に1時間早く起床。ゴミ集積場に2階のゴミを捨てに行った。雨は小降りで傘も不要なほど。先週のミックスペーパーは、この時間で私が一番乗りだったが、通常のゴミはたくさん出るからだろう、私はビリに近かった(ワイフはさらに私の後だった)。
続いて、ワイフを駅まで送るよ、と宣言したら、私の勘違いで日にちを間違えていた(笑)。ボケとの戦いは続く。
ルーチンをさっさと終えて、今日の課題に取り組み開始! 昨日は良いスタートを切ったので、その勢いを続けたい。ただし、重要雑務も気になっている。その一つが裏の土地の草刈りで、そろそろ限界だ。しかし、今日も雨模様で、天気予報も回復の見込みがなく、これは物理的に断念した。
執筆が順調に進んだ。昼食にまた昨日と同じインスタントラーメンを食べたが、ゲンをかついだわけではない。高速ランチも終了。
ところが、その後、ペースがガクッと落ちた。頭が回らないのだ。おかしな表現だが、執筆は頭脳労働なので、こういうことはあり得る。問題は、疲労なのか、能力不足なのか、スランプなのか、やはりボケなのか分からないということだ。
仕方なく、週末のお出かけのための準備を一つした。ワイフがちっとも動かないので、やはり私がやるしかない。とりあえず、自己満足レベルまでできた。
午後2時半に、レンジフードの会社の人が、現地調査に来た。営業マンであり職人さんでもある人だ。モノづくり企業で長年勤務していて、マルチというか多能工的な人が望まれることを実感してきたが、あらゆる業界にそれが波及している気がする。少子高齢化の中、生産性を上げていく、一つの手段だ。
1時間足らずの間に、必要な情報を相手も得、こちらも得た。これで技術的な心配はなくなった。
再び作家業に戻ったが、相変わらず不調だった。こうなったら、いつもの休養作戦だ。2日連続の1時間早起きが影響しているかもしれない。
ホットタイム後、ちび助を病院へ連れて行った。ちび助の命に係わることなので、大変な通院だが、当面継続だ。体重測定結果は残念ながら40g減少! 診察室の体重計が不正確だと思う。次回に期待する。
帰宅してまた執筆。晩ご飯の後も執筆。不調だが、手直しが必要な原稿だと認識できているのは、ある意味救いかもしれない。そう、前向きに考えながら、今日は店じまいにすることにした。
7月3日(水)「直感の選択が続く・・・の風さん」
普通に起床。昨夜からずっと今日の作戦を考えていた。効率の良い仕事をし、ある程度の成果を上げること。そのための作戦である。
結局、論理的な答えにはいたらず、直感で選択し、とにかくスタートすることにした。いつまでも迷っている場合ではない。
ついでに未練を書いておくと、裏庭の草刈りだ。チャンスがあればすぐやる、というのが理想の梅雨時である。今日の予報は午後から雨で、午前中にチャンスがあるかどうかだった。念のために現地を見てみると、雑草に露がついている状態だった。雨が降り出す直前までに、どれだけ乾燥状態になるかがポイントだ。しかし、強い日射をと強風ともなう晴天にでもならない限り、その期待は現実的ではなかった。そもそも、九州南部を中心とする西日本は、きわめて危険な豪雨予報いや警報が出ているのである。考えることそのものが失礼だろう。
ということで、夢中で執筆に取り組むことにした。ごちゃごちゃ言っている場合ではない。
案の定、午後から天気は下り坂になってきた。
夕方近く、最初のゴールというかマイルストーンが見えて来た。ここで、ひと区切りさせて、次のフェーズに遷移するかが、また迷うところだった。
ホットタイムを経て、晩ご飯の時刻までの進捗がまた判断材料となった。
マイルストーンを少し踏み越えていた。残りを明日の課題にするか、このまま一気に突っ走るかの選択となった。
この選択においても、最後は、やはり直感に頼った。一気にGOを選択した。
しかし、午前零時を過ぎても、この一気にGOでは、次のゴールにたどり着けなかった。
そこで、次の選択は、行けるところまで行く、である。
雨はだんだん強くなってきた。今日はときどき子猫の鳴き声が外から聞こえた。心配して見に行っても姿はない。
午前4時過ぎに、かろうじてひと区切りまでたどり着いた。明日はもうやらないと決めた。
雨の強い時期は過ぎていた。窓が明るい。夜明けが目の前だ。
シャワーを浴びて、午前5時に就寝した。それでも、ちび助にミルクを与えるため、午前8時にはいったん起床しなければならない。目覚ましをセットした。
7月4日(木)「旅行出発前日・・・の風さん」
午前8時にベッドから這い出して、ちび助のミルクを冷蔵庫から注射器へ移して、ベッドへ逆戻り。目覚ましを午前9時に再セット。
午前9時にベッドから這い出して、ちび助にミルクをワイフと二人がかりで与えて、またベッドへ逆戻り。目覚ましを午前10時に再セット。
午前10時に目が覚めたが、とても起きられる状態でなく、目覚ましを午前11時にセットして、ダウン。
午前11時に目が覚めたが、まだ起きられる状態ではないので、目覚ましを正午にセットして、またダウン。
お昼に、いくら何でも、と思って起床した。
朝食をお昼ご飯にして、書斎へ入ったが、元気が出ない。ルーチンをやりながら、 hairdye に着手。明日から出かけるので、もうタイムリミットだ。
明日からの旅行は、新居に入った次女夫婦を訪ねることだ。頼まれた荷物も運ぶ。荷物はほとんど長男の部屋に仮置きしてあったので、玄関までおろしておいた。
夕方のホットタイム後、ワイフと二人で次女の版画を二階から玄関へおろした。横幅だけでも130センチある。おろした後すぐ、プチプチを使って四隅を保護して全体を縛った。
夜になり、さすがに執筆ばかりしていられなくなり、旅行の準備をした。今回は2泊3日になる。留守中のちび助の面倒は、名古屋から長女が来てやってくれる。
明日のことを考えて、早めに就寝することにした。
7月5日(金)「最近なかった連続運転・・・の風さん」
午前9時にワイフとちび助を病院へ連れて行った。3日に1度の点滴(透析のようなもの)を、今日は午前中に予約してあった。
またちび助の体重が減っていて、ショックを受けた。
昼前に帰宅してすぐ、新車に次女の荷物を積み込んだ。一番上に、版画をのせた。その後、すき間に、私たちの旅行の準備を。
バタバタと家を出発したが、まだやることがある。
コンビニで祝儀袋と昼食を買い、GSで満タン給油し、UFJでキャッシュをおろした。これでやっと出発できる。午後1時だった。今日の目的地は、茨城県の笠間市で、500kmの道のりがある。有料道路にのってすぐ、私はパンを、ワイフはおにぎりを食べ始めた。これが昼食。
約1時間半の走行で、浜松まで行き、コーヒータイム後、ワイフに運転を代わってもらった。私は休養できる。
駿河湾SAでお土産を購入し、運転を代わって、おやつを食べながらまた走行。
今日の天気は不安定で、ほとんど晴れ間はなく、曇りか小雨だった。
東京に近付く頃、渋滞予報が出たためか、ナビがルートを変更した。厚木から圏央道である。こちらもスイスイ走れる保証はないが、何とか交通は流れていた。しかし、休憩するタイミングがなかなかなく、常磐道に入って、もうすぐ終点というところまで行って、やっと晩ご飯。私は200km以上連続運転した。
これだけ連続運転したのは久しぶりで、まだまだやれるじゃん、とは思いつつ、これ以上無理はしないことにし、晩ご飯は焼肉定食にしてスタミナをつけた。
笠間市の定宿にチェックインしたのは午後9時だった。山奥のプチホテルといった感じのホテルに浮かれているワイフを尻目に、私はさっさとシャワーを浴びて、ベッドでダウン。
7月6日(土)「クルマで走り回った・・・の風さん」
やや遅い8時半からの朝食となった。このホテルの朝食は超お勧めだったので、ワイフの感想を聞くと、感動していて、私も嬉しかった。絶品のオムレツとしゃきしゃきサラダがすごいのである。
チェックアウト後、これだけは、と思っていた笠間稲荷神社を参詣した。交通安全のお守りを更新(古い物を納めて新しい物を購入)した。新車には、伏見稲荷と笠間稲荷のお守りがついている。あと豊川稲荷(など)のお守りをつければ、日本三大稲荷として完成する(笑)。
その後、栃木県小山市の布団屋へ向かった。次女夫婦への新築祝いとして、客用布団をプレゼントするためである。知人の助言を聞いた上で、ネットで探した結果、ここが候補になったのだ。
行ってみると、期待通りの店だったので、ご主人とお母さんのアドバイスを聞きながら、2セット購入した。来週初めに届けてもらう。
次女夫婦の新居は茨城県古河市の近くにある。4号線をひた走って行ったのだが、昼食は、途中の道の駅に寄って摂ることにした。フードコートで、とんでもないメニューがあったので、面白がって注文した。おったまげ天丼というやつで、990円と安価ながら、大食いのためのような量なのである。ワイフにも助けてもらったが、食べきれなかった。
到着後、私は一人で、新車に満タン給油し、ホテルのチェックインを済ませておいた。
今夜は、次女夫婦の新居で、先方のご家族にも来てもらっての夕食会だった。お父さんが豪快な方で、にぎやかな夕食会だった。ちなみにお母さんは、ワイフと同様に天然の人である(笑)。
午後9時過ぎに終了し、余韻を引きずりながらホテルへ向かった。
昨夜と同様に、翌日のことがあるので、私はさっさとシャワーを浴びて、ベッドにダウンした。
7月7日(日)「早々と帰宅・・・の風さん」
もう今日は帰るだけ。そのことに専念すれば良いので、気分的にはリラックスしている。
ゆっくり朝食を摂りに行った。観光地ではないので、満室ではなさそうだったし、レストランも空いていた。ちゃんとしたレストランではないが、意外と味付けの良い(工夫した)料理があり、感心した(満足度を言ってはいけない。安いホテルなのだから)。
ナビの目的地を自宅に設定すると、出発も早いし、来たときよりかなり近いので、さらに気が楽になった。あとは天気か。
インターチェンジが予想より遠く、一般道をかなり走った。周囲の風景に特に注目すべきものはない。
有料道路は東北道から始まった。やがて、来た時のルートの逆方向を走るようになった。日曜日なので、トラックは少ない。天気もあまり好くはないので、観光というかレジャー目的のマイカーも少なそうだ。スムーズに走行。
正午前に、圏央道の終点近くのPAに寄って、コーヒータイム。それから、東名、新名神と走り、駿河湾でまたお土産を買いつつ、軽く麺類で昼食にした。レジャー客が多いが、ドッグランがけっこう一杯で、これも目的の一つにしているような印象があった。ペットとして犬は減少、猫は増加している。ドッグランもやがては消滅するかもしれない。来た時の再現のように、浜松までワイフに運転してもらい、コーヒータイム後、再び私がハンドルを握った。
帰りは渋滞もなく順調だったので、日没前に帰宅できた。信じられない早い到着。
留守中、長女がちび助の面倒を見てくれて、ちび助は私たちを忘れてしまったのか、玄関まで迎えに来なかった!
急いで片付けをし、夕食は近くの中華料理店へ。私は特製台湾ラーメンを食べたのだが、超激辛で、疲労など吹っ飛んだ。
小山市の布団屋へ次女の自宅位置情報を伝えるため、地図を作成した。残念ながらメールアドレスを聞き間違えたらしく、送信できなかったので、明日、ファックスすることにした。
早めに就寝。疲労を残してはいけない。また、明日からやることてんこ盛り状態だ。
7月8日(月)「日常に復帰・・・の風さん」
日常に復帰の初日だ。
先ずは、昨夜作成した書類を布団屋へファックスし、電話して、配送日について再相談した。1週間後に変更した。
朝食後、ちび助を病院へ連れて行った。ワイフは教室。体重は3日前と全く同じ。今回は、長女の留守番のお蔭で減らなかった。主治医に、我が家の亀が元気がないことを相談した。亀の診断は難しいらしい。ペットショップを教えてもらった。
帰宅して、疲労でダウン。覚悟を決めて昼寝。
目が覚めたら、雨が降っていない。明日から天気が下り坂の予報なので、気合を入れて、裏の土地の草刈りに出動した。時間があれば先週やらねばならなかった。かなり伸びていた。腰にミニ蚊取り線香を装着して、覚悟を決めて草刈りを始めた。風が吹いていて、けっこう楽。
ところが、バッテリ1個分を終えて、2個目に入ったところで、モーターが失速。バッテリのせいではない。明らかにモーターが不調。オーバーヒートしてパワーがなくなったという感じでもない。結局、停止してばっかりなので、途中で作業を中止した。明日もモーターが不調なら、また新品を購入する必要がある。やれやれ。家のことをやっていると、限りなく経費と体力を消耗していく。
シャワーを浴びて、遅いホットタイムになった。
結局、今日は、『数学文化』の再校ゲラの修正をしただけで、閉店の時刻になってしまった。
7月9日(火)「また休養・・・の風さん」
午前中は特殊雑務。朝食後、次女の住民税のことで本庁(役場)まで。転出しても住民税は遅れて納付通知が来ることが分かった。世間知らずの私も勉強になった。早速、次女へメールで知らせた。そこからドラッグストアへ行って買い物(全品8%割引は利用しなければならない)。そこで、ATMでキャッシュを引き出すための通帳を忘れて来たことに気が付いた。
帰宅してすぐ、次女へ郵送する準備をし、本局へ。すぐ近くにUFJのATMもあるのだ。しかし、人口減少の影響で、このATMは徐々に減らされている。クルマであちこち走り回っている間は、都合の良いATMが利用できるが、限定されてくると不便だ。さらに、ボケを認識して免許証を返上したら、もうアウトだろう。困ったことだ。
帰宅し、休養したが、疲労が出ている。続けて、昼食にインスタントラーメンを作って食べ、ルーチンを片付けたあと、さらにまた休養することにした。
夕方のホットタイム後、ようやく元気が戻って来た。
長編の執筆の続きを再開。修正すべき点が多く、気力・体力・知力が必要である。
昼寝したので、午前1時過ぎまで執筆を継続した。明日も忙しくなるが、頑張るしかない。
電動草刈り機だが、今日、何度か動作確認をしたが、不調のままだったので、分解チェックするのもやめて、新品を発注した。同じタイプだ。私自身も新品と交換できたらいいのに……(笑)。
7月10日(水)「長女の引っ越し手伝い・・・の風さん」
なかなか梅雨が明けない。今日は曇りから一日が始まった。
半日しか自分の作業時間がないので、気合を入れて頑張った。ルーチンなどはさっさと終了させた。
出版社との打ち合わせ日程の調整を急いだ。幸い、希望日で実現できた。往復の交通手段も決めて、ネットで予約した。
秋のキャリアデザイン講義(事前配布)資料の最終版が届いたので、内容を確認して事務局へ「OK」と通知した。
現在取り組んでいる原稿は二つある。ひとつは、第1稿を送ってあるが、その改訂版を来週明けに送ることにしている。その改訂に盛り込む内容は3つあり、そのひとつをやった。あと二つだ。
昼食を終えて、ワイフと名古屋へ出かけた。長女の引っ越しの手伝いである。明後日も行くが、やっと新居に入ることになったのだ。
今日は先ず、長女が12年間暮らした名駅近くのマンションへ行き、片付けの手伝いである。私のミッションは、テレビとブルーレイレコーダーの配線外しである。もちろん明後日には、復元もおこなう。引っ越し業者に頼んだら、法外な料金を申請されたのだそうだ。まさか、と思った。相当に大変なのかな。今日、現地を確認すると、埃だらけになっているぐらいで(笑)、技術的に難しいことはない。面倒なだけだろう。どのような配線になっているか、すべて理解できた。明後日の復元も問題ないと断言できる。
夕方、新居に移動し、ムコさんと合流。まだ荷物がほとんどない新居を詳細に点検して、私は安心した。古いマンションの割には、大きな問題はない(床が波打っているとか、そりゃ色々あるが)。私自身もそうだが、それぞれの身の丈に合った生活をするべきで、完璧を求めて贅沢になってしまうと、ロクなことはないと思う(私の思考回路は旧型人間である)。
とても満足したので、近くのファミレスで晩御飯をご馳走した。このファミレスでの晩ご飯も、私からすれば、私たちの身の丈に合ったものなのだ。
帰宅し、ひと休みして、遅くならないうちに就寝することにした。
7月11日(木)「執筆は不調・・・の風さん」
ちゃんと寝て、いつものように起床したが、いつものように疲れは取れていない(笑)。早く執筆を一段落させて、筋トレを再開しなければ、この状態から脱却はできないだろう。
ルーチンをしながら、しっかりカフェインを注入したが、やはり元気は出ない。
昼食にインスタントラーメンを食べた後、雑務を少しして、横になってみたが、疲れが取れた気がしない。
それでも執筆を強引に続けた。
夕方、ホットタイムでスイートを食べ(頭脳労働には甘い物が必要なので)、バタバタとちび助の病院へ。
はっきりしない天候が続いている。
心配した通り、またちび助の体重が微減。先週から合計で100gの減少だ。こんなに努力しているのに。主治医が、食欲の出る薬を発注していて、次回ぐらいからそれを試すことになる。消化器系は問題なさそうなので、食べて太ってくれば、元気も出るだろうし、腎臓の不安に対する余裕もできると思うのだが。
帰宅し、遅い晩御飯。
幕末の外交について、また勉強しているので、現代の外交問題との共通点も見えて、非常に興味深い。一つの共通点は、外交は強者の論理で動いているということだ。世界共通のルールや倫理、常識などはない。
今日は執筆が不調だ。スランプに近い。
午前1時にシャワーを浴びた後、気分転換に、別の原稿を読んでみた。
就寝は午前2時半。明日も、長女の引っ越しの手伝いがある。
7月12日(金)「長女らの新居に満足・・・の風さん」
昨日は久しぶりに執筆スランプ状態を味わった。しかし、ここで落ち込んでいるヒマはない。
寝不足だが起床し、黙々とルーチンを片付け、昨夜の執筆の続きに着手。これはやや機械的な作業になるので、復調のための準備になるだろう。
昼まで集中力は途切れなかった。
昼食はワイフが買ってきた福祉施設製造のパン。
早朝から始まった長女の引っ越しも一段落したらしいので、こちらも出発することにした。
梅雨の真っただ中だが、今日は好い天気だ。お天道様に感謝。
こちらも荷物をたくさん積んで出発。
新居となるマンションの近くのスーパーで食材を購入した。顧客が多いせいか、価格が安い。
労働力としては期待されていない私の最大のミッションは、一昨日外したテレビとブルーレイの配線を復元すること。これは学生時代から得意で(昔はコンポステレオが大人気で、様々な音響機器をつないで楽しんでいたから)、大学院時代の研究室でも、計測関係の実験装置をつなぐことは、難なくやっていたものだ。
復元はわずか15分程度で完了した。
仕事が終わったので、私は休養するだけ(笑)。
晩ご飯は、広大なバルコニーでのきりたんぽ鍋だった。たまたまバルコニー(面積でいえば下に独り住まい用の部屋が4つくらいあるらしいから、相当な広さ)付きのマンションを借りることができたので、精神的にとてもゆとりと優越感をおぼえる。
雨はもちろん降っていないし、風も弱く、暑くもなかったので、最高だった。
帰りは、これまで通っていた名古屋高速を使わなかったので、金銭的にありがたかった。
明日のために、今夜は早めに就寝。
7月13日(土)「山を一つ越えた感じ・・・の風さん」
昨日の疲労が残っているようなこともなく(体力不足は仕方ないが)、普通に起床。
ルーチンを黙々とこなして、午前中に、先行している原稿見直しを進めた。とりあえず、今日のゴールまで終了。
昼食にインスタントラーメンを食べて、長編の手直しを再開。苦しい苦しい作業が続く。
晩ご飯もエネルギー補給のような感じで終了。やれやれ。
……その後、非常に苦しい修正が続いていたが、どうやら、一つの山を乗り越えた感じ。あといくつ山が残っているか分からないが、一つでも乗り越えた感覚があったのは、元気が出る。とにかく続けるしかない。
今日は腰につけた万歩計が500歩くらいしかカウントしていない。それがすべてを物語っているか(笑)。
就寝は午前1時。ちょっと遅いな。
7月14日(日)「子猫の声を聞きながら・・・の風さん」
外で鳴く子猫の声で目が覚めた。1年に2回、子猫が誕生する時期、野良猫の子も当然出現する。最初は母猫が連れて歩いているが、やがて母子はバラバラに。そういった子猫がフラフラと近所にやって来る。
今、ときどき見かけるのはトラ猫だ。この子は声が大きい。たぶん母猫を探して鳴いているのだろう。
今日はワイフは教室があるので、ちび助をキャメロンで病院へ連れて行った。ちび助も元は野良猫の子で、はぐれていたのを知人が育て、我が家にやって来た。人間もそうだが、猫も境遇が違うとさまざまの一生を送ることになる。
ちび助の体重は相変わらず少ない。どうも食べ物を選り好みしているらしい。だとすれば、甘やかしているからで、飼い主の責任である。
今日は試しに食欲の出る薬をもらってきた(もちろん有料)。
天気は相変わらずはっきりしない。梅雨明けの気配もない。執筆が一段落したら草刈りをやらねばならない。気にしている子とは多い。
昼食に弁当をもらい、午後から執筆を再開した。途中でカフェイン(レギュラーコーヒー)を注入しながらの、非常事態だ(笑)。
夕方までに、一つの原稿がゴール寸前まで行ったが、あとひと息が大変そうだったので、そこで中断した。
続いて、長編。これは昨日ある山を越えたもので、そこから加速するかがポイントだ。
途中で子猫が2回外で鳴き出して、様子を見に行った。警戒してさっと逃げるほどではない。餌付けできそうな感じだ。ワイフが外にちび助が残したエサを置いてある。ちゃんとなくなっているらしい。
長編の執筆で、ここまでは到達しておきたいところへ行ったのが、午前1時半だった。明日へかけよう。
7月15日(月)「次々にゴール・・・の風さん」
今日は「海の日」でシャバは3連休らしい。お蔭で私の原稿の自主締め切りは今夜(笑)。
朝食、ルーチン後、キッチンタイマーを準備した。60分単位で効率第一主義でいかないと、終わりそうもない。
先ず、最初の60分は……、目標に到達しなかった。で、延長。結局、2時間半の作業になってしまった。
昨夜のピラフを温めて高速ランチ。今朝淹れたレギュラーコーヒーを飲んだ。
途中でファイト〜一発ドリンクも摂取して、最初の原稿の目標に到達した。またレギュラーコーヒーの残りを飲んで、メール送信した。
続けて、長編。昨日からまたペースが上がっている。キッチンタイマーを使わなくても順調に進みそうだった。
晩ご飯まで快調に進んだ。しかし、その頃から疲労も感じ始めた。
晩ご飯後、今日2回目のレギュラーコーヒーを淹れた。ラストはカフェインパワーで突っ走るしかない。
午前零時を過ぎて、遠くにゴールが見えて来た。遠くても見えるということは元気が出る。マラソンもきっと同じだろう。
結局、午前3時ころに長編の目標地点に到達した。体裁を整えて、メール送信した。
シャワーを浴びて、就寝は午前4時。明朝は、ワイフの送迎があるので、寝坊はできない。
7月16日(火)「予定外のゴキ駆除・・・の風さん」
目覚ましで7時に目を開けたが、また寝てしまった……が、運良く、途中で眠りが浅くなり、階下へ行き、ちび助にミルクを飲ませたあと、ワイフを駅まで送った。その後またベッドへ逆戻り。
今日もやることが多いので、11時に無理やり起き出した。
朝食は昼食となった(笑)。ちび助にサプリを飲ませてから、行動開始。
実は、昨夜、晩ご飯の後だが、ダイニングの仏壇の背後の額縁の下でゴキが出現した。立派な成虫だった。すぐゴキジェットを持って来てが……既に行方は知れず。とりあえず額縁の裏にシュパッと噴霧しておいた。その後、仏壇周りを注意深く(恐る恐るという表現の方が正しい)見ていたけれども、黒い姿は現れなかった。
そんなことがあって、執筆は必死でゴールしたものの、ゴキに対する怒りは消えておらず、かねてワイフに宣言していた通り、燻蒸によるゴキ駆除を実施することにしていた。昨夜のゴキ出現がなければ、久しぶりに特殊雑務をたんとやろうと思っていたが、計画(休養含む)はかなり吹っ飛んだ。
準備をしている過程で、トースターをのせている台の下の床の上で、ゴキの死骸を発見した。どうやら昨夜出現した奴らしい。毒エサの効果か、あるいはゴキジェットを噴射したとき額縁の裏にいたのかは不明だが、とにかく昨夜のゴキは死んでいた、ということで、ひと安心。しかし、駆除の意志は固い。ワイフも出かけていていないのだし。
こういう時のために燻蒸の品(アー〇レッ〇だけどね)を2個持っていたが、今日は徹底してやることにしたので、ドラッグストアへ行くことに。その前に、UFJとJPで特殊雑務を処理し。
帰宅し、キッチンとダイニング、リビングから次々に品物を廊下へ避難させた。警報器にはカバーも。最後に避難させたのが、ちび助と亀子ちゃんだ。
燻蒸品は、LDKに2個、サンルームに1個、和室(次女の部屋)に1個の合計4個設置した。
2時間の燻蒸後、午後5時ころから換気を始めた。午後6時ころから、電子機器などを戻し始め、空っぽに近い流し台の掃除などを始めた。
そうこうしている間に、サンルームのテーブルの下で、瀕死の状態のゴキを発見した。立派な成虫だった。ゴキジェットでトドメを刺した。燻蒸をやらなければ、どこかに潜んでいて、また恐ろしい姿を見せるところだった。
7時にワイフを迎えに行き、晩ご飯をしっかり食べたところで、パワー切れとなった。
就寝は午前1時。明日もやることが多い。
7月17日(水)「突発の人形供養・・・の風さん」
普通よりやや早く起床。ちび助にミルクを飲ませた後、ワイフとクルマ2台で地域の葬祭センターへ。人形供養祭があるのだ。
先週、長女の引っ越しをサポートしたが、長女はぬいぐるみ大好き人間なので、マンションにも実家(うちのこと)にも、ぬいぐるみがたくさんあった。さすがにもう所有継続は困難になったので、ワイフが人形供養をして成仏してもらおうと提案していた。すると、タイミングよく、地域の葬祭センターが(マーケティングの一環で)人形供養祭をやることが分かり、持ち込むことにしたのだ。ついでに長女のぬいぐるみ以外も少し追加した。かなりの量である。
以前から検討していた入会(終身会員)手続きをし、祭壇へは代表となる人形を一体、それ以外は係員へ渡した。二人で焼香。
いったん帰宅し、ワイフは午前中教室で、私はひと休憩後、キャメロンで再出動した。
ホームセンターで買い物をし、UFJのATMで現金をおろし、再び葬祭センターへ。11時半から僧侶が来て読経してくれるので、参列するのである。
祭壇には代表となる人形がずらりと並んでいる。どれも立派な人形だ。
祭事は通夜か本葬そのものだった。曹洞宗の僧侶だったので、耳になじんでいる観音経を聞きながら、再び焼香もした。何度か合掌。僧侶は今日供養する人の名前を「住所、姓名、人形供養」といちいち読み上げていたが、ざっと百軒はあった。
最後は外へ出て、軽トラに積み込まれた人形に僧侶が読経し、合掌して解散。とても満足した。
帰宅し、人形供養祭の写真を家族のLINEへアップして報告した。
人形供養祭も昨日のゴキ駆除と同じで、当初予定にはなかったものだ。しかし、突発というのはたいてい重要なものである。長い会社生活でもそうだった。
昼食後、ルーチンをこなした。
幸い今日は雨が降らないどころか、晴れ間も覗いていたので、夕方屋外作業のため裏の土地に出てみると、けっこう乾燥している。新品の電動草刈り機の試運転を兼ねて、草刈りをおこなった。1台目は自動車部品のような過酷な使い方をして、1年未満で壊してしまった。2台目は1年以上もったが、まだ過酷だったのだろう。3台目はもう少しやさしく扱うつもりだ。バッテリ1個がなくなったところで中断し、少しで手で刈った。まだかなり残っている。
シャワーを浴びて、ホットタイム後、ちび助を病院へ連れて行った。体重が微増。
帰宅して晩ご飯。
貴重な特殊雑務時間なので、元会社の同僚に送るパソコンソフトの荷造りをおこなった。うまくインストールできるとよいのだが。
就寝はまた午前1時。明日もやることが多い。
7月18日(木)「雑務優先は今日まで・・・の風さん」
昨夜の雨が上がって、今日は曇りからスタート。スマホの天気予報によれば、午後3時から雨らしい。それまでに屋外の仕事はすべてやってしまわねばならない。
朝食後、雑務を片付けながら、並行して hairdye を実施。昼までに hairdye は終了。これで、来週の旅も安心。
雨はまだ降って来ない。キャメロンで外出。コンビニへ行き、ゆうパックを送付した。大仕事が一つ完了した。うれしい。
続いて、JAへ行きキャッシュをおろした。さらに足を伸ばして、UFJで入金と通帳記入を実施し、JPで送金をした。3日に分けて実施した現金の操作だったが、この結果を分析し、年内から来年へかけての投資計画の見直しをおこなった。
昼食は卵かけご飯とみそ汁。超高速。
ようやくワイフの教室が終わったので、月齢の墓参。まだ雨は降っていない。ここ2ヶ月くらいワイフ任せだったので、私は久しぶりにしっかり墓石をぬぐった。これも完了してスッキリした。
帰宅して、難物に挑戦開始。色紙の作成である。明日持って行く予定。どんなデザインにするか、しばし悩み、結局、凝った作りにして、悪筆をカバーすることにした。夕方のホットタイム後に、この色紙が完成した。
ツムツムのリストを更新した。これも2か月ぶり。今朝までセレクトボックス(12体入っていて、すべて確率は同じ)というのがあり、一つだけ持っていないツムが含まれていたので、1体だけゲットできたらガチャを終了するつもりだったが、月曜日から12回、12回、10回そして今日4回と合計38回ガチャを回したにもかかわらず、1体もゲットできなかった。確率は12分の1だったので、平均的には3.17個ゲットできるはずだが……。0個の確率は、12分の11の38乗なので、3.67%となる。意外と高いな(笑)。
晩ご飯の後は、明日の出発準備をした。やばい。どんどん就寝時刻が遅くなる。
7月19日(金)「2か月ぶりの打ち合わせ・・・の風さん」
しばらく特殊雑務を処理する日を続けていたが、今日から再び臨戦態勢。
気まぐれ日記の更新とちび助へのミルク、サプリ投与だけはちゃんとして、家を出た。幸い、本格的な雨雲は当地にまだ来てなく、たまに雨粒が落ちてくる程度の中、徒歩で最寄りの駅へ。今回はキャリーバッグは使わず、トートバッグを肩からぶらさげていたが、坂道を下っている時、その荷重がかかる足の膝に痛みを感じた。やはり運動不足が蓄積している(変な表現だが)。
ここからは5月17日とほとんど同じスケジュールで行動だ。
名駅で昼食とお土産を購入してこだまのグリーンに乗車。御茶ノ水駅から駿河台の坂を下って三省堂書店へ。途中で見かけた100円の古本を購入してしまったのは、病気だ(笑)。
かつて新人物往来社と何度も打ち合わせた喫茶店で、児童書の打ち合わせ。今回は第一稿ができていたので、打ち合わせは順調に進んだ。最大の修正部分は最終章というか終わり方で、史実とフィクションをどう調和させるかがポイントだった。結局、フィクションの比率を増やすことにした。これでしっくりする。ゴール寸前なので、なるべく早く修正したいと思う。挿絵画家の候補の提案もあり、なるほどと思った。
三省堂4階の古書店ブースで、時間調整をするつもりが、気になる本を発見してしまい、また1冊購入。病気だ(笑)。
夕闇迫る神田を徒歩で次の打ち合わせ場所へ。今回はやや近いと思われるルートを歩いた。
前回、打ち合わせ場所のマスターから色紙をせがまれたので、家で書いて持って来て渡したら、店(お洒落なカフェ)に飾ってくれた。
こちらの打ち合わせも、第一稿寸前までできていたので、順調に相談ができ、最後は、雑談をたくさんしてしまった。現役時代の部下との会話を思い出した。人生の先輩になると、どうしても後輩に経験談を語りたくなる。誰しも人生のあらゆる段階で困難というかピンチに遭遇する。それはこの世で初めてのことではないし、皆、乗り越えて来たことなのだと思ってほしいからだ。そして、まったく予想できない将来への不安を少しでもやわらげてあげたいと思う。
打ち合わせ後の行動は、前回と違った。前回は福島への取材へ向かったのだが、今回は帰宅する。
バスタ新宿は週末ということで大変な混雑だった。私はもう疲れていたので、ツムツムで遊んでいたのだが、疲れた老人はゲームに不向きだ。ひどい点数(笑)。
バスも混んでいた。前回のJR東日本のバスは3列シートだった。今回は通常のシートで、臨席がいた。すぐに枕を首に巻いていて、持ってこなかったことを悔やんだ。私は毛布を枕にした。若い頃は(あるいはかつては)酔っ払って、熟睡できるようにしていたが、ひ弱な老人になっていると、アルコールの力を借りることなく眠れる(笑)。もう少し無理すれば、熟睡や爆睡を通り越して永眠してしまうだろう。
7月20日(土)「長〜い一日・・・の風さん」
午前7時前に名駅BSに到着した。2種類の痛み止めを飲んで寝たせいか、体が痛いとかいうことはない。疲労のみ。
予定した電車に乗って家路を急いだ。
自宅への坂道を登る時、苦痛を覚えたのは、疲労だけではない、やはり運動不足による下半身の衰えだ。今度こそ、筋トレを復活させねばならない。
シャワーを浴びてさっぱりし、ちび助にミルクも飲ませ、ゆっくり朝食を摂り、ワイフを送り出した。
とりあえず正午まで昼寝だ。
睡眠を補って起床。ちび助にサプリを飲ませ、自分はラーメンの昼食。日常に戻りつつある。
その日常は現実の世界だ。午後2時過ぎに、ちび助を病院へ連れて行った。ケージをキャメロンに固定して、ひた走る。ちび助は全然平気。
しかし、体重が戻らない。いよいよもらっている食欲増進剤を試す時が来たか。
帰宅したら、キャメロンを駐車しているカーポートのところに、野良の子猫の兄弟がいた。iPhoneで写真を撮った。逃げた子猫は敷地内に入ったので、家に入ってから、ちび助の残りのキャットフードをウッドデッキの上に置いて、現れるのを待ったが、とうとうやって来なかった。
やっとレギュラーコーヒーを淹れて、ルーチンに着手した。
案外早くワイフが帰宅し、すぐ晩ご飯になった。
今日は休養が大事と思っていたので、今年初めて、テレビにPCをつないで、Amazonprimevideoを観ようとしたら、著作権保護とかで、録画機能のある外部機器を通しての鑑賞がブロックされた。え〜?と驚いても、浦島太郎は負けを認めた。とりあえず、今夜はGAYO!で何か観ることにした。
ディズニーシーで唯一乗れる怖いアトラクション「センターオブジアース」の原作映画を観た。ワイフは既視感があるらしいが、私はなく、アトラクションの元になった場面を確認できた。
午前零時を過ぎていたが、ワイフが気になるというので、阿部寛の邦画「カラスの親指」も観た。なかなか凝ったストーリで、最後のところで、原作があるのを確認した。アメリカのサスペンス映画のようなストーリ展開にあらためて感心した。
就寝は午前3時。長い一日だった(笑)。
7月21日(日)「独り相撲の一日?・・・の風さん」
いつもより1時間くらい遅く起床。今日はゆっくりペースで行く予定。昨日の疲労が出ると何もできない。
という油断で、あっという間にお昼。昼食後、投票に出かけた。これは、坂道の上り下りがあるので、今日の運動でもある。
短時間で戻って来たので、ワイフが驚いていた。私的には、帰りの上りで、昨日の朝と同様に息切れを感じた。下半身の劣化を再認識。
往復で面白い風景を見た。家から出てすぐのお宅で、飼っている鶏(ワイフの話では烏骨鶏らしい)が「コケコッコー」と何度も鳴いていた。しばらく行くと、ちび助そっくりの黒猫が小道を横切った。雑木林から盛んに「ホーホケキョ」が聞こえてくる。投票後、あひるを飼っている家を見たら、庭でテントを出してビールを飲んでいた。何てのどかな風景だろう。過疎化が進んでいなければ、まだまだ長く暮らせる場所なのだが。
ま、とにかく、雨に降られず散歩できたのはよかった。
書斎に入り、重要メールをいくつか出した。
今日は児童書の第一稿の修正を終えるつもりだったが、どんどん時間がなくなっていく。
執筆が進まないでいるうちに夕方のホットタイムとなった。この頃、ときおり腰痛があり、ちょっとヤバイな、という感じがした。
晩ご飯の後、テレビをつけて選挙速報を見たら、開票が始まってまだ1時間なのに、かなり大勢が明らかになっていた。ほとんど予想通りの結果である。これは決して良いことではない。私の最大の関心事は、世界の中における日本の存在意義で、会社でいえば基本理念とか社訓、社是、フィロソフィ、クレドである。これを明確にして(憲法だというなら、それを明確にすべき)、そのために国民は何をすべきか(政治家任せでなく)が議論されなければならない。
かつて技術立国・経済大国となって世界に貢献しようとした。それらの原資である技術やマネーは原資足りえなくなる危機に瀕している。じゃあ、観光立国・(みかけの)金融大国に変身するのか、だ。そうじゃないだろう。選挙があっても、こういった視点が欠落している。世界に貢献もできずに、国内の弱者を助けられるとはとうてい思えない。内向きの選挙は笑止だ。たとえば政治家を人柄優先で選んではいけない。政治力(スキル、知識、経験、胆力、経済力など)が優先されるべき。野党も海外へ行って、独自に外交成果を上げれば、国民は目が覚めて評価するだろう(アントニオ猪木のように)。
おっと時間がなくなる、と書斎へ入って、重要雑務の取り組んだ。また、明日への持ち越しがいっぱいになった。
就寝前に、腰の万歩計を見たら、500歩もあるいていない! そんなバカな。
7月22日(月)「現役時代さながらの・・・の風さん」
昨日のメールに即対応してくれた和算研究会の会長のおかげで、事態が進展し、身辺が慌ただしくなった。これは、現役時代に何度も経験していることで、こうやってビジネスは激しく動いて行くのだ。また、それができるかできないかで、ビジネスの成否は左右されると今も思う。
今週末の全国和算研究千葉大会もあるので、また二本松へ取材で足を伸ばすことにしていた。そうなると欲が出るもので、もっとできないか会長へ打診のメールを昨日送ってあった。
起床の遅い私が寝ている間に、会長から電話があり、お世話して下さる先生にお願いしたからあとで電話があるよ、とのことだった(応対したワイフ談)。
起床してiPhoneを見ると、会長と紹介してくれた先生からの2つの受信履歴があった。メールチェックすると、会長からの返信もあった。
朝食後、先ず先生へ電話し、二本松取材の前日に福島取材が決まった。詳細は電話でのやりとりになる。会長へもお礼の電話を入れた。
取材が1日追加になっただけでなく、初日の目的地がより遠くなってしまったため、キャメロンで行く私としては、宿泊計画も変更せざるを得なかった。予約してあったホテルをキャンセルして福島近辺に変更し、さらに出発を1日早め、中継点のホテルを選択して予約した。つまり、今回は4泊5日の旅行になってしまったのだ。
新たに発生した福島取材先へも電話し、訪問することを伝えた。さらに、先生から、二本松取材のことも聞かれ、二本松で取材したい別案件を説明すると、そちらも検討してみましょう、ということになった(予定はさらに増えるかも)。
このような動きが朝から見られたので、訪問先へ持って行く贈呈用の拙著も用意したくなった。これは、実は、起床してすぐ出版社へメールでお願いし、相談を始めていた。私の出発が早まったため、それ以前に拙宅へ送ってもらうのはリスクがあることから、福島で合流する先生のお宅へ送ってもらい(1日余裕ができる)、現地で受け取ることにしたのだ。もちろん先生の了解も得た。なお、残った本は、全国和算研究大会で販売できる可能性あり(笑)。
これらのことをすべて終了させるのに、昼食をはさんで午後2時過ぎまでかかった。
今日はかかりつけの病院へ行く用事があったのだが、夕方になってしまった。キャメロンで往復したが、はっきりしない空模様で、しかし梅雨明けが近そうな予感もした。執筆の仕事もそうやって視界が明るくなっていくのだ。
昨日できなかった児童書の原稿の修正に着手したのは、かなり遅かった。
結局、この修正は午前1時半過ぎまでかかった。自分でも満足できる仕上がりで、第2稿として、明日、資料と一緒に送ろうと思う。事実上の完成だ。
今日は、朝から腰痛の気配もあったので、コルセットをつけたり外したりを繰り返したが、それも何とか乗り切った。
7月23日(火)「また大ボケ・・・の風さん」
いつも通りに起床し、ルーチンをさっとこなした。今日は雨が降りそうもない。車庫の上のストッカーを開けて、乾燥させることにした。内部の水は、下からあがっているらしい。対策をそのうちやらねばならない。
昨日は、若桜木虔さんから新刊『それ、時代ものにはNGです 2』が送られてきた。若桜木さんの得意シリーズで、プロの私でも役に立つし勉強になる。それでも、たまに確信犯をしてしまうことがある。史実と違っていることは承知の上で、あえて現代人に分かりやすい表現を使ってしまうことだ。作品のキャラから言って、作り手側(著者と出版社)は納得しているが、読者は真に受けてしまうことがあるので、ジレンマというか痛しかゆしというか苦衷の判断になって、ストレスをためこむことになる。どんな仕事のプロでも、こういうことはあるだろう。あの世まで持って行くしかない。ま、それはともかく、イージーミスはプロとして恥ずかしいので、そういうことがないように、若桜木さんの本を始め、歴史書は常にひもといて、さらに奥を探りつつ、研鑽を積まねばならない。
今日は、児童書の編集のために、作品と関係のある地図情報と年表の整理をしなければならない。
午前中に提供するための年表の整理を終えた。何をするにも全力投入なので、時間がかかる。
昼食後は地図情報の整理だ。これも時間がかかる。最後は、重いファイルをPDFに変換した。
年表と地図の整理をしている過程で、原稿の修正が必要になった。
しかし、今日はちび助の点滴に行かねばならない。ホットタイム後に出発。
梅雨空が解消されて、久しぶりの日没近い明るい空だ。数日中に梅雨明け宣言があるのではないだろうか。そうなると、一気に猛暑に突入だろうなあ。
ちび助の体重が増えていた。うれしい。
帰宅し、晩ご飯後、昨夜完成させた第二稿の微修正に着手。若桜木さんから笑われそうな間違いの修正もある。PCのソフトで執筆した原稿なので、検索や置換機能を利用すると、こういった作品全体にわたる微修正は楽である。それでも、念には念を入れてやらねばならない。
そうこうしている間に、とつぜん電話があった。こんな遅くに珍しいことだ。
また、大ボケをやってしまった。昨日、明日のつもりで予約したホテルが、今日の予約になっていたそうで、チェックインに現れなかったので、確認の電話が入ったのだ。予約内容はプリントアウトまでして、机上に置いてあったので、自分のミスにすぐ気が付いた。謝って、明日に変更できないか聞いたところ、満室だという。ひたすら謝るしかなかった。キャンセル料の請求もなく、きわめて良心的なホテルだったので、そのうちぜひ利用したい。
急いで、別のホテルを探したが、近所にない! 結局、明日は、もう少し先まで行って宿泊することにした。
このドタバタを午前零時寸前に終え、児童書の原稿と資料も同じく送付を完了した。
7月24日(水)「頑張って出発したけれど・・・の風さん」
過密スケジュールにしたのは良いが、準備が間に合わない。昨夜はホテルの予約でヘマをしたことが判明したし、これからも色々とありそうだ。
やや早起きして、ちび助にミルクを与えた。これは大事。
朝食は冷蔵庫の中に何か残すことがないように、できるだけ食べた(笑)。
昨日まで執筆中心で、旅行の準備ができていない。それだけではない。前半は取材なのである。取材の準備は必須である。
名刺が不足していたので、最新版を作って30枚印刷した。向こうで著書を受け取るので、サイングッズも持参していけねばならない。
後半は全国和算研究大会があるので、岩手県和算研究会の会長にデータを持って行く予定だった。その準備もしなければならない。ところが、データを入れたCDを作ろうとしたら、執筆マシンがロックしてしまうのである。似た経験がないこともないので、PCの再起動を繰り返した。
必要な資料で、印刷して持って行くものがあり、それらの印刷もした。これは並行処理となる。本来の旅行の準備がやっとできた。
卵かけご飯で高速ランチを終え、ちび助にもまたミルクをやり、食器類を全て洗い、洗濯しておいてもらう衣類を全てカゴに入れ、・・・。
2時に出発する予定だったが、15分くらい遅れた。GSで満タン給油してから有料道路にのった。新東名の岡崎SAでお土産を買った。浜名湖SAでうなぎエクレアを食べて小休憩。ここまでは予定通り。天気も良くて、梅雨が明けたような感じだった。
その後、天気が怪しくなり、変な自然渋滞が何度かあった。結局、いつも通り、駿河湾SAでコーヒータイムとなった。
厚木から圏央道をかなり走り、今夜の宿まであとわずかというところで、ファミレスに入り、晩御飯を食べた。
時間的にも余裕しゃくしゃくと思われた。
ところが、本籍地の近くの、昨夜急遽予約したホテルがちょっと見つからないというトラブルから始まって、駐車場はいっぱいで提供できません、Wi-Fiも繋がりません、といった感じで、サービスがやや悪いホテルだということがだんだん分かってきた。アメニティも良くなくて、シャワートイレもなし、禁煙の部屋もないので、部屋の清潔感がよくない。
それでも、ちゃんとシャワーを浴びて、就寝するところは、我ながらタフだなとは思ったが・・・・・・。
7月25日(木)「懐かしさばかり・・・の風さん」
8時出発を目標にしているので、寝坊せず起床。
500円の朝食付きなので、レストランへ・・・ではなく1階併設の居酒屋へ。先客は1人だけ。本当に居酒屋で、おばちゃんが一人で朝食対応していた。どうも酒のつまみのお裾分けといった感じで、塩辛い。早々に片付けてチェクアウトして出発した。コインパーキングも自腹。
今日は午後3時に福島駅西口の駐車場で案内してくださる先生と合流する。ナビの予想到着時刻は午後1時なので、楽勝だろう。
圏央道をスタートに、色々な有料道路を経由して、東北道に入った。これは昔の帰省ルートで懐かしい。人生とはその瞬間その瞬間を全力で突っ走ってくるのだが、ふと昔の思い出が蘇った時、極めて長い年月が経過していたことに気付く。須賀川への家族全員での帰省をやめた時、両親は健在だったのだから。その時点でもまだ将来は長いと感じていた。その長い将来のかなりの部分が、既に過去のものとなってしまった。全力だったから後悔はない。しかし、もっとゆっくり味わってもよかったかな、と思うこともある。
やっとホットタイム休憩をとり、自然に囲まれた東北道をひたすら北上し、那須高原SAで正午になったので、山菜そばで昼食にした。ここは、帰省時の最終休憩ポイントだった。懐かしさもだが、やはり過ぎ去った膨大な時間を実感する。
今日は天気が良いだけでなく、真夏に近い暑さだった。高速道の脇に設置してある温度計は、高地では30度、平地では33度を示している。
安達太良SAでまたホットタイム休憩をとり、さらに時間調整して出発した。
福島駅西口での合流には少々手間取った。2人の先生と合流し、近くでちょっと打ち合わせをしてから出発。1人の先生は、埼玉大学で日本数学会市民講演会に登壇した時に聴講してくださったという方、もう1人は全国和算研究会宮城大会でお会いしたことがあるとのこと。いずれも古いお付き合いということだ。
今回の最初の目的は、和算家渡辺治右衛門の末裔の方にお会いして小説に引用することに対して諒解を得ることだ。その方は、土湯温泉でこけし作家だった。訪問すると奥様と二人で歓待してくださり、2時間近く歓談したが、こういう出会いは(山奥へ遠隔地から人が訪ねてくるということ)江戸時代もあったのだろうな、とふと思う。この場所と猪苗代湖や会津若松が山を越えてすぐであり、昔から交流が深かったというお話は貴重な情報だった。執筆中の作品のために、色々と調べていて分かったことは、主要街道以外に多くの道があり、そこを通って人の往来が盛んだったことだ。そのことを改めて実感した。名人ともいうべき工人から、伝統こけしを頂戴し、恐縮した。
再び、福島駅西口まで戻って、2人の先生と打ち合わせしたが、ここまで戻ったのは私の勘違からだ。今夜の宿は、てっきり駅に近いと思っていたからだ。
打ち合わせ後、今宵の宿をナビにセットしたら、すげえ遠い! なんと飯坂温泉の老舗旅館だった。
途中で晩御飯を食べ、午後9時過ぎに到着したが、昭和時代に戻ったようなデジャブな気分を味わった。部屋もマジで旅館だった(笑)。
露天風呂に入り、大浴場へ入り、畳の部屋でリラックスしたが、さすがに疲労したので、自分で布団を敷いて寝た。昭和のころにタイムスリップした気分。
昔のことばかり考えていた1日だったなあ。
7月26日(金)「1000キロ超え・・・の風さん」
旅館の朝食はお弁当だった。中身はいかにも旅館の朝食といった感じで、胸のあたりがほっこりした。貴重な昔体験だった。
ほぼ予定通りの8時に出発。高速道を突っ走って二本松へ向かった。
台運寺に着くと、お寺の方らしいご婦人がいたので、目的のお墓の位置を尋ねた。そのお墓は小高い場所にあり、線香を上げてお参りを果たした。
続いて、二本松藩丹羽家の墓もある大隣寺へ行った。ここでも運良くお寺の奥様と境内で遭遇し、今回の調査項目をお尋ねした。木村家の末裔の有無である。このお寺には二本松少年隊の記念碑などがあるが、木村家は檀家ではないので分からないという。市役所で尋ねるのが確実だろうというアドバイスまでもらえた。少年隊の墓にお参りした。
次に、前回、偶然の出会いがあった書店に向かった。ここのご先祖様が会津藩士で、執筆中の作品の登場人物のモデルにさせていただくのである。
あらためて、作品のねらいなどをお話し、色々な情報交換を通じて、気持ちが通じあったことを確信した。今朝、最初に訪ねた台運寺にご先祖様の墓があったのだ。大きな目的が一つ、達成できた。
午後、一番で二本松市役所へ行った。文化課と観光課を回って、木村家の末裔の有無を尋ねたが、解決しなかった。ただし、有名な木村銃太郎の墓があるお寺を教えてもらったので、そこ(正慶寺)へ行ったら、あいにく留守で、確認ができなかった。後日、また電話してみようと思う。
二本松での用事がやっと終わったので、千葉へ向けて出発した。
今日も朝から夏のような天気で、早くも疲労を感じていた。ロングドライブになるので、何度も休憩しながら行くつもりだった。
それでも、疲労がきつかったので、休憩はしっかりとり、つまり仮眠もしながら、ゆっくり走った。ところが、常磐道に入ってから、渋滞情報が表示されるようになり、夕方から知人と会う約束があったので、非常に不安になった。何度も携帯電話で状況報告しながら進んだ。幸い、常磐道を外れるポイントまで渋滞には引っかからなかった。
佐倉のホテルに午後7時前に到着でき、知人とも無事に合流できた。
近くの居酒屋で3時間くらい久しぶりの交流をしたが、会わないでいた間に、知人は大変な病気をされていたことを知り、驚いた。こういったことも人生には十分あり得ることだが、いざ身近なところで起きるまで、忘れていることが多いのは、何となく情けない気がした。貴重な話をたくさん聞くことができた。
水曜日の午後2時に自宅を出発し、満タン給油した時0にしたトリップカウンターは、さっきホテルに着く前に1000kmを超えた。あと10年で、私も後期高齢者の仲間入りだが、こんなドライブは無理になっているのだろう。しかし今は、それが実感として分からない。人間とは愚かな生き物なのだろうか。
7月27日(土)「全国和算研究大会初日・・・の風さん」
台風が西から迫ってきている。幸い、当地にはまだその影響が及んでいない。今日も快晴で、暑くなりそうだった。
昨日と打って変わって綺麗なホテルの朝食となった。800円だという。安い。昨日のお弁当は500円くらいだったのだろうか。趣があった。
10時のチェックアウトギリギリまで部屋で気まぐれ日記を書いたりして過ごした。今日のスケジュールは余裕がある。
チェックアウトを終えて、キャメロンに荷物を積み込んだあと、残っている拙著を持って、再びホテルのロビーに戻った。
無料のコーヒーを飲みながら、拙著にサインをした。合計12冊だが(8冊は取材先へ贈呈した)、マイペースでサインしていると、気の遠くなるような時間がかかった。実際は気が遠くなるのではなく、気が重くなる。落ち込む、という方が正しいだろう。大学時代に右手でまともな字が書けなくなってから、こういった作業が辛いのだ。左手で書いていても。
ナビで目的地(成田市)をセットした。全国和算研究大会の会場とホテルはすぐ近くである。ところが、キャメロンのナビが古いせいか、どちらもまともに表示されなかった。とりあえず、会場の住所を目的地にしてみた。千葉県の京成成田駅近くだ。
途中のGSでセルフ満タン給油した。あちこち走り回っているとガソリンの単価が場所によって異なる。ここは非常に安い。不思議だ。
快晴の空の下、目的地に着いた。道路脇に止めて、ホテルに電話し、駐車場を利用できるか聞いた。何となくOKの雰囲気だったので、地下駐車場に止めた。露天ではないのは、夏は助かる。荷物も熱くなるのを心配せず置いておける。
徒歩で会場を下見に行ったら、知り合いの先生がいたので、ご挨拶した。
まだ時間があったので、上の階で開催されている歴博のミニ展示(幽霊がテーマ)をじっくり見学した。無料。幽霊ではなく、干しアワビの作り方が紹介されていて、勉強になった。
1階へ降りて、コンビニでパンとコーヒーを(保有ポイントで)買い、イートインコーナーでランチにした。今日はこれで十分。
午後1時から始まる大会会場へ行くと、知り合いの先生ばっかり(笑)。1年ぶりなのだが、私もいつのまにか常連になってしまったのだ。
講演や発表を聞いたあと、恒例の記念撮影があった。
その後、ホテルへ移動し、チェックインした。部屋はツインで広く、今回の4泊の中では最も豪華(笑)。
昨日、留守で取材できなかったお寺に部屋から電話してみた。うまく知りたかったことを教えてもらえた。今後の対応には、もう少し考えることがある。
毎年、懇親会が始まる前まで、各県代表者による会議が行われる。途中で呼ばれ、2年後の大会への協力を要請された。事情から判断し、お受けすることにした。今回の会議では、来年、再来年そして3年後までの開催地が決定した。
懇親会の会場へ拙著を持ち込んで販売したが、期待して待っておられた先生もいて、嬉しかった。8冊が売れた。もちろん割引価格。
昨夜もそうだが、疲れているはずなのに、ビールを飲んでもダウンしなかった。
7月28日(日)「4泊5日、1546km・・・の風さん」
4泊5日の5日目だ。カーテンを開けて外を見ると、予報通りに雨が降っている。帰るころまでに止むだろうか。
新館の奥の部屋なので、レストランまで遠い。しかし、決めた時刻に行ってみると、もう朝食を終えている参加者が多かった。
正規のレストランなので、メニューが多い。洋食で統一して並べた。クロワッサンなどのパンが美味かった。東南アジア系のメイドに惹かれた。二日前の老舗旅館で部屋まで案内してくれたのも、東南アジア系の番頭さんだった。労働力不足から、色々なサービス業で外国人が活躍するようになっていくだろう。彼ら一人一人の人生をつい想像してしまう。小説家の業(ごう)みたいなものか(笑)。いずれにせよ、彼らの幸福を願わずにはいられない。
チェックアウトし、荷物のほとんどを駐車場のキャメロンに置いてから、研究会の会場へ行った。
午前中の発表も面白かった。勉強になった。
昼食の弁当を食べ、皆より先に午後の見学場所へ向かった。キャメロンのナビに算額が見られる常福寺を住所入力し、いざ出発。駐車料金がチェックインからチェックアウトまでの時間を前後でオーバーしていてもサービス券で無料になったのは、フロントの現場判断のおかげだった。感謝。
幸い雨は上がっていた。同じ成田市内でも、常福寺まではやや遠く、田舎道をひた走った。目的地に着いても、ナビ画面にお寺の記事があっても、肉眼で見つからない。ぐるぐる回って、裏側へ行ったら、細い道がそこにもあって、いきなりお寺の前に出た。
算額は山門の内部にあり、着色された美しいものだった。山門から本堂までの石畳の道や左手の大きな鐘楼など、趣のあるお寺だった。お参りにして戻ろうとしたら、女性が近付いてきたので、今回の流れで直感し、尋ねると、お寺の関係者だった。住職は他の寺の僧が兼務しているそうだが、今日は縁日なので、本堂の中で護摩を焚いていたのだという。その様子を見に来たというので、通常は入れない本堂に入れてもらった。立派な不動明王像が、大きな目玉で突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)である私を睨んだ。私は睨み返すかわりに、コンデジで写真を撮った。
女性と歓談してしまい、予想外に時間を食ってしまったので、そろそろ研究会の人たちが来るだろうから、いっそ待って合流しようと思った。しかし、全然来ない。岩手県和算研究会の会長へ電話したら、まだ走っているバスの中だという。バスは遠い場所に駐車してそこらか皆歩いてくるので、もう出発することにした。研究会は、ここを見学後、伊能忠敬記念館へ移動して見学する。その記念館は以前見学していたし、ますます帰宅が遅くなるので、出発することにしたのだ。
圏央道や北関東道路、首都高速などを通って、東名に入った。よく利用した海老名SAで小休憩した。天気もまずまず、大きな渋滞もなく、順調に走った。しかし、今日は、ナビが不調で、何度も電源が落ちた。いよいよ壊れたらしい。
何度も通っているコースでも、ナビがないと予測が不十分で、駿河湾SAにはかろうじてピットインできた。日曜日で子どもは夏休みということで、SAは大混雑である。お目当てのお土産を幸運にも購入でき、コーヒータイムにした。最後は、浜松SAで、明朝のパンを買い、夕日を眺めながらまたコーヒーを飲んだ。
帰宅は午後8時半より前。水曜日に出発して帰るまでの走行距離は、1546kmだった。
我が家で晩御飯を食べることができた。ちび助にも久しぶりにミルク。
昨日の朝、ホテルで朝食を食べてから、昼はコンビニのパンをポイントで、夜は懇親会、今朝はホテルで昼は弁当だったので、外食を現金で支払うことはなかった。節約できたようだ。
7月29日(月)「帰宅しても日常が待っていた・・・の風さん」
久しぶりに寝坊をした。昨日、浜松で買ったパンで朝食にした。
午前中から用事があった。11時にちび助の点滴の予約をしてあったので、ワイフのクルマで出かけた。私がいない間も、ちび助の体重は維持されていた。どうやら食欲の出る薬が効いているらしい。あとひと息、食欲を出させれば、もっと体重が戻るのではないか。
帰宅し、とりあえず旅行中に書き溜めた気まぐれ日記をアップし、昼食にラーメンを食べた後、昼寝した。
夕方起き出したのだが、フローリングの上で寝ていたこともあり、腰痛を発症した。やばい。
ファイト〜一発ドリンクを飲んで、ワイフのクルマでまた出発した。
名古屋の長女の引っ越しが最終章なのである。
一人暮らし用のマンションに行き、最後の片付けを手伝って、荷物を積み込み、新居へ向かった。既に夕闇が降りていたが、玄関ドアから出たベランダから名駅前の高層タワーが群が間近に見え、長女の暮らしを想像した(十年以上ここで暮らしながら、そのほとんどは、あの高層タワーのどこかで働いていたのだ)。
新居に荷物をおろし、近くのファミレスで晩御飯を食べた。これからまた何年間か、きっと長いだろうが、ここと拙宅を往復することが何度もあるだろう。
約1時間かけて帰宅した。
なかなか仕事に復帰できない。仕方ないよな、忙し過ぎる。体力もないし(嘘つけ)。
7月30日(火)「特殊雑務を再開・・・の風さん」
昨日から腰痛があって、日常にはまだ戻れない。腰はデリケートで重要な部位なので、徐々に日常に戻っていくことにする。
午前中はゆるゆるとエンジンをかけていった。
午後から特殊雑務の消化を再開した。
先ず、JPへ行き、急遽購入した拙著の代金の送金と、リフォームの重要書類を投函した。
続いて、ドラッグストアへ行き、ロキソニンのジェネリックを購入しておいた(まだ数日分あるが、補充タイミングだったのだ)。ちなみに今日は、全品8%引きだったので、もう少し買い物もしておいた(笑)。
帰宅してすぐ準備を開始して、裏の土地へ出動した。梅雨が明けて、真夏のような天気だし、腰痛の不安もあるが、伸び放題になっていた雑草の処理である。
自身の腰痛だけでなく、電動草刈り機も無理がきかないことが判明しているので、こういう真夏日は、バッテリー1個分で中断しようと最初から決めていた。
ワイフの教室の生徒が駐車するための最小限のスペースの除草が当面の目標だ。しかし、伸び過ぎた雑草はしぶとい。終了した時点でざっと周囲を眺めてみると、目標に到達するには少なくともあと1日、できれば2日は必要と思われた。完全に草刈りが終了するには合計4日は必要だろう。
シャワーを浴びてからホットタイムとなった。
ちび助にもミルクをやり、その後、ワイフの運転で買い物に出かけた。近所のお気に入りのスーパーに百均ができたので、確認したかったのだが、ワイフのセルフ給油を見守るのが条件になっていた(笑)。百均の品ぞろえはきわめて適切というか、私流の表現を使うなら、品の良い品ぞろえで好感が持てた。
今日はあと長男の部屋の片付けも再開したが、そこまでが精一杯の一日だった。
7月31日(水)「今日も特殊雑務が重点・・・の風さん」
昨日に続いて、特殊雑務を再開しつつ、本来の日常復活を目指した。
午前中は、昨日と同様にゆるゆると。1つおまけとして、今年リニューアルしたばかりの寝室のエアコンのドレーン(水)が、配管の途中から漏れているので、町の電器屋さんへ連絡しておいた。案の定多忙らしく、対応は来週以降となるそうだ。
昼食後、今日も出かけた。
ホームセンターへ行き、懸案事項に関係する買い物をするための、下見をじっくりおこなった。こういう下見は楽しい。適当に判断して購入すると、失敗することも多く経験しているので、慎重にするのは良いことだ。
帰宅してから、昨日と同様に、裏の土地へ出動した。昨日よりも真夏を感じるような日差しだ。腰に蚊取り線香を装着したのも昨日と同様。
今日も、バッテリー1個分で終了にした。進入路から駐車スペースまでの最小限の除草ができたが、十分ではない。
シャワーを浴びた後、ホットタイムになったのも昨日と同じ。しかし、私が屋外作業に専念している間に、ワイフは買い物に行っていた。
ホットタイムでは、9月の次女の結婚披露宴に関する懸案事項が議論された。なかなか面白い問題で、現役時代を思い出す。個人の問題となると、解決策の範囲が小さくなってしまうのだが、現役時代の問題対策の考え方を応用すれば、解決策のバリエーションは増えるものだ。今回は、ワイフや私のプライドを捨てること、金銭的な損を受け入れること、将来への期待を含めることで、解決策の候補が増えた。
今日も長男の部屋の片付けを頑張ったので、特殊雑務の再開2日目としては合格、と判断することにした。
気になる日常の雑務もこつこつと片付けて行った。
明日も特殊雑務の再開3日目を目標にしつつ、日常を取り戻す。
2019年8月はここ
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